2023年8月、マンゴー農家という家業を継ぐべく実家へと戻ってきた長友芳樹さん。高校までを西都市で過ごし、鳥取大学農学部を卒業した後、新卒で中古農業機械を輸出する商社に就職。24歳で宇宙事業を手がけるスタートアップ企業に転職し、宇宙教育や宇宙食の開発プロジェクトに携わってきました。
流通や宇宙といったスケールの大きな仕事に関わってきた長友さんですが、「実家のマンゴー農家を継ぐ」という思いは昔から心に決めていたといいます。
「最終的には帰るって決めていたんで、そのタイミングをいつにしようかな、という感じでした。ほかの仕事をしていても、常に肩にはマンゴーが乗っかってるような感じでしたね。前職のプロジェクトが落ち着いたタイミングで、今しかないと」
マンゴー農家としてデビューした長友さんがまず驚いたのが、その労働環境でした。マンゴー栽培では、生育状況に応じて頭上にある針金に紐で実を吊るしていく作業を1シーズンで5回以上行います。21棟のビニールハウスに3万本以上あるというマンゴーの枝での吊り直し作業は、当然ながら重労働です。「めっちゃくちゃしんどいですよ。毎朝背中は痛いですし。でも両親はそれを何十年もやってきたって考えると、まだ20代ですし、負けてられないって精神で頑張っています」
どんな経歴も今に活かせる
もともとまちづくりに興味があったという長友さん。大学時代には、耕作放棄地が増加していた鳥取県鹿野町での農業×観光プロジェクトにも参加していました。地域の人や県外の大学生との交流を通じてまちの魅力を再発見することで、その熱意はより膨らんでいったといいます。また、商社時代には夜間営業の飲食店と交渉し、飲み仲間と土日のみ営業の豚汁屋をオープン。本人曰く「それなりに盛況」で、そうした鳥取のコミュニティに出入りする中で出会ったのが、前職の宇宙関連のスタートアップ企業の方でした。
転職後、長友さんはVR(仮想現実)や宇宙の教育関連コンテンツの運営、また鳥取砂丘を疑似月面に見立てた体験サービスの運営・管理や新規事業の立ち上げなどに従事。半年かけた宇宙食プロジェクトが一区切りついたタイミングで、家業を継ぐため里帰りを決意します。
「マンゴーは年1回だけ収穫する作物なので、PDCAサイクルを回すのに1年かかるんです。スピードを重視するスタートアップと比べたら、もう真逆ですよね。例えば35歳を過ぎて実家を継いでPDCAを回そうとしても、5回やっただけで40歳です。そう考えると、少し早めに戻ってきてもいいんじゃないかなって」
一見異色に思える職歴ですが「例えばドライマンゴーを本物の宇宙食にするなど、これまでの仕事の経験が役立つこともあるはず」と長友さん。20代後半でのUターンは早期のノウハウ習得や体力面だけでなく、年下の世代とのコミュニケーションにも大きなズレが生まれにくいといったメリットもあると話します。
若い世代がつながるまちづくり会議
長友さんも参加している、45歳以下の20人ほどの有志からなる「さいと未来のまちづくり会議」。この会議では外部講師の講義やグループワークを通じて、西都市の課題解決やプランづくりなどを行っています。長友さんの目標は、マンゴーを使った特産品を作ること。西都市におけるマンゴーの現状をこう指摘します。
「マンゴーは高級品ということもあって、マンゴー農家の多い西都市でも手軽に食べる特産品にはなっていません。マンゴーを使ったスイーツを提供する店もあるんですけど、定着しきってはいない。実はみんなあんまり食べていないんですよね。もっと安価でいつでも食べられるような商品があれば浸透するのにな、と」
そこで長友さんが目をつけたのがドライマンゴーでした。試作品を知り合った人に配ってフィードバックを得つつ、新たな商品開発にも積極的に挑戦中です。
また、「さいと未来のまちづくり会議」には長友さんの同級生や同年代のメンバーも参加していて、そこから派生したコミュニティも出来つつあります。月に1回程度の飲み会に新たに知り合いや友人を誘う形でさまざまな人たちが集まっては、新事業の相談やイベントごとなどの話が飛び交っているのだとか。こうしたつながりのおかげもあって、長友さんは西都市の新たな側面を知られるようになったと話します。
「昔と比べても、西都市は元気な人が多くなったなと思いますね。居酒屋の店員さんもフレンドリーで、少し話しかけただけでもすごく会話が弾んだりするんです。あと、僕が以前住んでいた鳥取と比べて、宮崎は空が高い! ウチからは尾鈴山とか20〜30キロ離れた遠くの山がよく見えます。見晴らしの良さや人の温かさはやっぱり良いなって思います」