今回お話を伺うのは、西都市を拠点に活動する、フリーランスの映像クリエイター・松田岳さん。自然や建築を美しく切り取ることを武器に、主にドキュメンタリーや広告の領域で活動しています。
Facebookでメルボルンのチームに直談判
映像制作の道へと進んだきっかけは「大学4年生のとき、iPhoneで撮った京都の町並みを音楽に載せて編集したこと」。撮影したときはただの風景でも、演出によって感情を揺さぶる作品になると知り、その魅力にはまっていったそうです。大学卒業後に視野を広げるべく向かったオーストラリアでは、半年ほど農場で働いた資金でついにカメラを入手。知る人の誰もいない異国の地で、松田さんはある行動に出ます。
「カメラを買って半年後ぐらいかな。最初は遊び半分で撮影していたのですが、これでは実力がつかないと思って、メルボルンで結婚式を撮っている映像チームにFacebookからメッセージを送ったんです。そしたら、たまたま彼らも人手を探していたんでしょうね。何本か作品を見せたら仲間に入れてもらえて、数回撮影に同行しました。結婚式という人生の特別な瞬間を映像に残せるなんて最高だし、これを仕事にしようって決めて。でもその時は単純に楽しいってだけで、ずっと続ける気持ちはありませんでした」
憧れの師匠のもとで技術を磨いた修行の日々
海外生活を終えて宮崎に戻ったのは2020年の3月末、コロナウイルスの蔓延が深刻化し始めた頃のこと。将来のプランを考える日々のなか、松田さんはゆくゆく人生に大きなインパクトを与える、あるYouTubeチャンネルに心を掴まれていました。
「アウトドアのアクティビティや自然の風景をシネマライクに撮っている、自然アウトドア系YouTubeチャンネルの感傷的な雰囲気が好きで、ずっと応援していたんです。すると、ある日そのチャンネルの主宰の方からSNSを通じて「映像編集を手伝ってもらえませんか?」というメッセージが来て。「行きます!」と即答して、大分に移り住むことにしました。当時は映像を撮ることが好きなだけで、機材にも詳しくないどころか、カメラの扱いすら怪しかった僕にとっては、またとないチャンスが巡ってきたという感じでした」
憧れのチャンネルの作品を編集できる──。高揚感とともに大分に向かった松田さんを待っていたのは、思った以上に厳しくタフな生活でした。画面にかじりつき、どれだけ必死に編集しても、クオリティを満たしていなければ何度でもやり直し。シーンとシーンをつなぎ合わせる映像編集は感覚的な部分も大きく、「正解」は自らのセンスで掴むしかない。実力不足を思い知るいっぽうで、チャンネルの持つ魅力の秘密に触れられたことは大きな財産となったようです。
「ほとんどマンツーマンのような形で、彼が撮ってきた素材を僕が編集していたのですが、最初は何もできない気がしてきつかったですね。クオリティのためなら、細部にまで徹底してこだわる方でしたから。今思うと、彼が何に感動して自然を撮るのか、それらをどのように編集して1本に仕上げていくのかを真横で知ることができて、とても良い勉強になりました」
映像編集向きの静かな環境
映像編集に浸り続けた大分生活を経て、西都市都於郡地区に移り住んだのが2021年の冬。松田さんはいよいよ独立し、フリーランスとして新たな一歩をスタートしました。お仕事の性質上、県外での撮影が多く、自宅では編集作業をしていることがほとんどという松田さんの場合、ここでの生活は「最高の環境」と絶賛します。
「このあたりは本当に静かで、集中して編集しやすいですね。近郊には『高屋温泉』というこじんまりとした温泉があるんですけど、お湯が良質でかなりおすすめです。知る人ぞ知る穴場という感じなので、本当は教えたくないのですが……(笑)。ご飯だと『アポロンカレー』や『LIFE LONG』というハンバーガーショップをリピートしていて、宮崎市内在住の友人を連れて行ったりもしています」さらに松田さんは続けます。
「今の時代は西都市にいたとしても東京の人と繋がって仕事することもできるし、海外に行くこともできる。そして撮影から帰ってくると、静かで編集しやすい環境があるわけです。西都市は海にも森にもアクセスが良いのでカメラやレンズのテストがしやすいし、もともと自然が好きな自分にとってはかなりベストな環境だと思います。『自然』というジャンルを強みにしながら、これからも好きなもので地道に勝負していきたいですね」
目標を伺うと、再びオーストラリアに渡り、現地の友人たちとドキュメンタリー作品を作る計画もあると教えてくれた松田さん。どんな風景を見せてくれるのか、若き才能のこれからの活躍に期待が高まります。
西都市に期待すること
最新の図書館ができたらいいなって思います。子どもの教育の面でも西都市の移住先としての魅力が上がるはずです。