夫婦で住みはじめて、そろそろ一年。率直な感想を「なんだかすごいところに来てしまったかも、という第一印象が良い意味で変わって、徐々に身に馴染んできた」と話す藤井裕之さん。長年親しんだ土地を離れ、ゆかりのないまちに移住したこの一年は、二人にとってどんな時間だったのでしょうか。
多様な世代と関わる “西都市の窓口”
裕之さんが籍を置く、一般社団法人まちづくり西都KOKOKARA。ここでの主な業務の一つが、事業を始めたい方の創業相談です。多いときには月に約20件の相談を受けることもあり、2024年4月から数えると十数名が創業。在学中に洋菓子店を開いた高校生や、焼肉屋をオープンした70代の方まで、年齢も事業のジャンルもさまざまです。たくさんの “はじめる芽”を育てるサポート役といえます。
二つ目の業務が、人材育成。西都市のまちづくりのために集まった市民団体で、約40名(※取材時点)からなるまちづくりサークル「SAITO BASE」の運営サポートに携わっています。現在はまちづくり会議で採択されたイベントの実施にむけた運営体制の構築と進行管理に尽力中。これからのまちづくりを引っ張っていく人たちの輪を広げる場でもあります。
そして、三つ目の業務が移住相談です。西都市には、移住を検討している方が住居や仕事を探す際に活用できる「お試し滞在等助成金」や、転入の際に一定条件を満たすと支給される「移住支援金」「子育て世代移住促進住宅取得助成金」など多彩な制度が用意されています。各制度の概要はもちろん、どのように活用すればよいのかを状況に応じて案内する役割を担っています。
世代や思い、置かれた状況もさまざまな方たちとの対話の機会が多い業務について、裕之さんは「これまでの自分なら会わなかったような世代、職業の人たちと知り合えることがうれしい」と話します。「実家が京都の和菓子屋なんですけど、子どもの頃から何か手伝うといったら接客でした。以来接客は好きでずっと関わっていたいと思っているので、楽しいですね」。
サーファーとクライマーにとっても理想的な場所
大学卒業後、夢を追いかけるなどではなく「日本の首都を見ておこうかな」という理由で上京したという裕之さん。譲り受けた軽トラでニューヨークのソウルフード「チキンオーバーライス」を販売するフードトラックに挑戦したかと思えば、大阪で友人と旅行代理店を立ち上げたり、兵庫でスパイスカレーの店舗運営という新事業に携わったり。面白そうなことならなんでもやってみたくなる性格に加えて、持ち前の大胆かつ飄々とした身のこなしでさまざまなチャレンジを重ねてきました。
そんな裕之さんにとって欠かせない趣味が、20代の頃から続けているサーフィンとクライミングです。夫婦で「いつか田舎に住みたいね」と話すとき、裕之さんがまず思い浮かべるのは全国のサーフスポットや岩場でした。千葉県や四国、関西の日本海側などが候補に挙がっていましたが、地理的な利便性が西都市移住の決め手になったと言います。「北に行けば全国的にも有名なサーフスポットの日向市や、南に行けば日南市がありますし、クライミングでは少し足を伸ばすと延岡市や大分県にも行ける。クライマーのメッカとされるような場所に数時間の距離というのは、最高の環境ですね」。
人生観が真逆の二人だからこそ
「宮崎に行こう!」。結婚後すぐに目を輝かせて移住を切り出した裕之さんですが、慎重派の聡子さんの同意を得るまでには数年の時間を要しました。自由人の風格すらある裕之さんと対照的に、保育士として十数年間堅実に勤めてきた聡子さんからすると、仕事を辞め、気軽に友達とも会えない場所へ移住するというのは相当な覚悟の要ることだったと振り返ります。
「私は兵庫から出たこともなかったし、ずっと反対してたんです。でも、彼を見てじゃないですけど、保育士じゃない人生も歩んでみたいなと思ってきた頃でもあって。保育士じゃないのなら、ここじゃないどこかに住んでみるのもいいかもと。まさかこんなに早く動くとは思わなかったですけど(笑)」。
ゼロからの立ち上げや思いついたことをすぐに実行に移す行動力のある裕之さんと、物事を現実的に検討したり、計画的に実行することに長けた聡子さん。「人生観は真逆」としながらも、人との出会いや会話から事業のアイデアを次々と思いつく裕之さんの姿を見て、少なからず前向きな影響を受けているといいます。
「体力仕事で休みの日もずっと仕事のことを考えていたので、今はゆっくりしながら一人でできる趣味も探したいですね。何をするかはまだわからないけど、今度は全く違うことをやってみたいかな」。
宿泊業という新たな挑戦への下準備
この一年でいろんな方と話したことで、このまちにどんな人たちが、どんな思いで暮らしているのか、どんな困りごとがあるのかが徐々に見えてきたという裕之さん。まちの輪郭を掴んだ先に、移住前からの夢だった宿泊事業での独立をイメージしています。
「やっぱりホスピタリティを提供したいというか、人と接する仕事をやりたいという気持ちがずっとあって。宿泊業なら海外の方も含めて、いろんな人たちといい距離感で関わることができるかなと思うんです。常にインスピレーションは受けていますけど、まずは宿泊業。これは絶対やりたいですね」。