FROM SAITO CITY MIYAZAKI

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感動を広めるサッカースクールPROJECT

サッカーを好きになってもらうことが何よりの喜び。
市内初のサッカースクール、開講までの物語。

サッカー指導者 濵砂銀次朗さん

9 Wed. October, 2024 KEYWORD
  • 起業・小商い
濵砂銀次朗

サッカー指導者 西都歴2年

埼玉県出身。西都市で幼少期を過ごしたのち、各地でサッカープレーヤーとしてしのぎを削る。指導者転身後に味わったサッカーの喜びを西都市へ広めるためUターン。創業支援制度を活用しスクールを立ち上げ、日々子どもたちにサッカーを教えている。

  • 起業・小商い
9 Wed. October, 2024

 2023年6月、濵砂銀次朗さんが開校した「妻サッカースクール」。幼稚園児から中学生まで約40名(取材時)もの生徒が在籍しており、西都市初のサッカークラブチームとして注目を集めています。幼稚園児は週2回、小学生は週3回、中学生は週1回の練習で、年齢層によるクラスに分かれて濵砂さん一人で全生徒を受け持つ形で運営。地域の少年団と異なって保護者の当番制などは設けず、子どもたち自身が自律して成長できる環境を目指しています。

 濵砂さんの生まれは、サッカーが盛んな埼玉県浦和市(現在のさいたま市)。友達みんながサッカーをしていて当たり前の環境下にあって、自身も物心がついたときには自然とサッカーに打ち込むようになっていました。しかし、6歳のときに父親の実家がある西都市に移住すると、地域のサッカーに対する熱量の違いに物足りなさを感じるようになったといいます。

 「埼玉では運動会のプログラムにサッカーが組み込まれるほど盛んで、僕自身も自然とサッカー選手になるという夢を持っていました。でも西都市の中学校ではサッカー部に所属していても、午後5時半に部活が終わったり、冬の間は練習時間が30分しかなかったりと、これで自分はプロになれるのか? と疑問を抱くことが多々あって。全力でサッカーをしたいけどできないという、少し悔しい時期でもあったんです。当時からクラブチームの存在を知っていたので西都市にもクラブチームがあればいいのに、とずっと思っていました」

 その後、濵砂さんは岡山県にある大学のスポーツ社会学科に進学。サッカー部に所属しながらスポーツに関わる全般的な勉強に取り組み、在学中には日本サッカー協会指導者ライセンスC級を取得します。大学卒業後は山口県の実業団でJリーグ参入を目指すものの、仕事とサッカーの両立に厳しさを感じるように。そこで濵砂さんはプレイヤーではなく指導者への転身を決意しました。

“サッカーをやっていて本当に良かった”

 実業団の紹介で、山口市のスポーツクラブのコーチを務めることとなった濵砂さん。フットサル場の管理などをしつつ、小学生のサッカー指導を中心とした業務に励みました。

 「小学生の指導を始めた最初の1〜2年は、自分の考えをどう伝えればいいのか、大人と違って子どもたちに必要なことは何か、どこまで伝えるべきなのかも探り探りで、本当に何をすればいいのかわからない状況でした。2年くらい経った頃ですかね。ようやく子どもたちにピントを合わせることができてきて、サッカーの指導にやりがいを感じられるようになったんです」

 今の原動力にも繋がる転機が訪れたのは、29歳の時。入社時に指導していた幼稚園年少や小学校1年生の子どもたちが小学5〜6年生となり、小学生として一番大きな公式戦リーグの出場のタイミングで、濵砂さんは以前から立候補していた監督を任されます。その結果、チームは中国大会で優勝し、全国でも3位という好成績を収めたのです。濵砂さんはこの経験を「サッカーをやっていて本当に良かったと思えた瞬間だった」と振り返ります。

 「結果がすべてではありませんが、チームみんなが泣くくらい喜んでくれて。この感動を自分が育った西都市でサッカーをしている人たちにも感じてもらえればいいな、と思ったんです。それは、自分自身が子どもの時になりたかった姿にも通じるものがあるはずです」

サッカーを好きになってくれることが
生きる喜び

 できるだけ多くの子どもたちに、サッカーをやっていて良かったと思える瞬間に立ち会わせたい──。沸々とたぎるような思いを胸に、濵砂さんは2023年3月に「妻サッカースクール」の無料体験会を始め、6月からは本格的な始動へと舵を切りました。知人を通じて協会への挨拶やグラウンドの確保などを進め、チラシ配りなどの地道な宣伝活動によって、5名の受講生が集まりました。

 当初は西都市創業等支援事業補助金を活用したり、貯金を切り崩しながら生徒を指導する毎日。決して楽な道のりではありませんでしたが、開校から1年が経過し、今では中学生を含めた40名弱が通うまでの評判となっています。その人数に取材班が驚くと、「評価はまだこれからです」と濵砂さん。現状を謙虚に捉えながらも、その目線はより大きな目標へと向けられています。

 「西都市にはナイター施設こそありませんが、自然やサッカーができる場所は数多くあるので、それらを活かせるようにしたいですね。子どもたちには少しでもサッカーをしていて良かったと思ってもらいたいし、もっといえば西都市からプロのサッカー選手になる人が出てきてくれたらすごく嬉しい。結果だけではなく、親御さんとの信頼関係や子どもたちがサッカーに出会って好きになるきっかけを作れれば、僕としては生きている喜びを感じられるんです。そうやってみんなの役に立てたらいいですね」