「いつか定年退職したら、ぼちぼち農業でもやれたらいいかな」。当時福岡の印刷会社に勤めていた松浦篤志さんにとって、農業は目標というよりも、どこか遠い憧れに近い存在でした。移住の特集が組まれた雑誌を眺めては、夢を語る夫。その姿を見ていた妻の亜希子さんは、当時について笑みまじりに話します。「正直、右から左に聞き流していました。生活に不満はなかったし、福岡を離れることはないと思っていたので。おばあちゃんになってもきっとここにいるんだろうなって」。
転機
ところがある日の帰り道、二人は買い物途中にふと思い立ち、百貨店で開催されていた新規就農相談会へ足を運びます。格好もそのままに「よし、じゃあ行くぞ!」。亜希子さんはそのときの心情を振り返ります。
「息子が小学1年生くらいの頃、いろんなことにチャレンジしなくなったんです。得意なことでも緊張するから、と避けようとする姿を見て『やればできるのに。もっと挑戦してほしいな』って思っていて……でもその時にふと『じゃあ、自分はどうなんだろう』と。子どもにチャレンジしてほしいのなら、自分がチャレンジしなくちゃいけないんじゃないって。だからこその『よし、じゃあ行くぞ』だったんです」。

相談会に参加すると、移住&就農という選択肢が一気に現実味を帯びました。以来、オンラインも含めた様々なフェアに参加し、情報収集を本格化。作物は初心者でも栽培しやすいと勧められたピーマンに決めていましたが、移住先は他県も含め複数の候補地を検討していました。その中で西都市を選んだのは、農地の斡旋や研修制度、独立後の農地確保など、新規就農者への支援体制の充実ぶりだったと言います。「西都市はここまでやってくれるのか!と驚きました」と、亜希子さんが続けます。
「仕事を辞める時に(同僚から)『すごいね!』って言われましたけど、内心は不安だらけで、迷いだらけで『大丈夫!』なんて全然思っていませんでした。でも、さっきの息子の話と同じで、やると決めたからにはやるしかない!って」。
宮崎は亜希子さんの父の出身地。しかし、二人が西都市を訪れたのは、市が主催する収穫体験の一度だけでした。「収穫体験の終わりに、市役所の方に『いつでも来てください!』と言っていただき、自分たちの中ではほぼ決まったような感じでしたね。実際、その3ヶ月後の2021年7月にはもう西都市に来ていましたし。いろんなことのタイミングが重なったんだと思います」。(篤志さん)

ピーマンの声を聴く
こうして始まった、地域の先輩農家から学ぶ約1年の研修期間。朝8時に出勤し、16時半に退勤。土日は休みという規則正しい生活の中で、基礎を記録したノートはいつしか何冊にも増えていきました。当初は「老後にのんびり農業でも」と考えていた篤志さんでしたが、この研修を通じて、その“ゆるい”イメージは大きく覆されます。農業は論理的で、常に学びと実践が求められるストイックな世界。正解と誤りを見極めながら、試行錯誤を重ねて技術を磨く――そんなあり方に、次第に強く惹かれていったと言います。



亜希子さんもまた、農業の厳しさを実感していました。細やかな作業は亜希子さんにとっては難しく、思うように進まないこともたくさん。「できなくても、へこんでも、続けるしかない。やり続けたら見えるものがきっとある」。そうやって自らを鼓舞し続けた答えが見えたのは、研修を終えてJAトレーニングセンターに移ったときのことでした。
「あれだけできなかったことが、できるようになってる!って。身体は覚えているんだとびっくりしましたね。そんな瞬間が何度もあって。とはいえ、夫のほうが細かい作業は得意なんですけど(笑)。その代わり、作物の病気や異変に気づくのは私のほうが得意なんです。施設の方が調べても異常がないとされる木でも、違和感があるなと思っていたら数ヶ月後に本当に枯れたり。今も、(枝を)切ってほしそうにしてるとか、この子はなんだか苦しそうとかは分かります。ずっとピーマンと向き合ってるから、感覚が研ぎ澄まされてきてるのかもしれません」。



子どもたちがやりたいことをやれるように
移住は松浦さんの二人の子どもにとっても、人生の中で大きな節目でした。弟の影響でサッカーが好きになったという姉の栞里さんは妻高校の女子サッカー部に所属し、毎日部活に打ち込んでいます。もともとは物静かな性格でしたが、移住後はより活動的になった、と亜希子さんは話します。
「プロのミュージシャンの方と全校生徒の前でギターを弾くという学校の企画に、自分から立候補したんです。ギターなんて触ったこともなかったし、授業中には目立たないようにしようとしているタイプだったのに、こんな積極的になったんだって驚きましたね」。


篤志さんたちの直近の目標は、ピーマン生産を軌道に乗せて、収量をもっともっと上げていくこと。そのためには人手が必要で、「いつでも働き手を募集中です、と記事に書いておいてください(笑)」と篤志さん。会社勤めから人生の舵を大きく切った家族。その先に描くイメージを、亜希子さんが答えてくれました。
「もっと言うと、子どもたちがやりたいことを何でも叶えられるようにしたいんです。単に教育費というだけじゃなくて、なんでもいいと言えるくらいの資金をつくっておきたいなって。例えば先日、夫と息子がAdoのライブを見に北海道まで行ったんですけど、移住前だったらこんなこと絶対無理だったでしょうし、自営業という選択をしたからこそだと思います。やりたいと思ったことがやれるように、そのために頑張っている気がします」。
